短い雑記

名乗るほどのものではないオッサンの短い雑記です。含蓄のある事、書けと言えば書けますよ。生存確認用ブログです。

小さな巨人みたいな

最近、人嫌いでね。

特に4月に人事異動になってからさらにひどくなってきており、今日も毎年恒例の飲み会であったが、大勢の飲み会がべつに面白いものでもなく、作り笑いや、話を合わせるのも面倒くさいので、欠席を早々と表明した。まあ、明日の日曜日、仕事だということもあるが。

今日は、いつもの土曜日のように過ごした。

だいたい朝5時前には目が覚め、布団の中でうだうだ仕事のことを思い出しながら起きるでもなく、寝るでもなく何度も寝返りをして、平日とほぼ同じ6時頃起き、新聞を見る。

その後、軽く朝食をとり、シャワーを浴び、だいたい8時頃からyoutubeでBGMを流しながら、本を読みだす。

昼になり、だいたいはラーメン屋に行き、そして施設に入っている認知症の母の様子を見に行き、その後、図書館に行ったり、公園散歩をしながら変わり果てた母を思うことが多い。

そして自宅に戻り、早々とビールを飲む。

ほぼ、いつもの土曜日だ。

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それで、人生楽しんでいるの?と言われそうだが、楽しんでもいないが、好きにしてるだけだ。

何かというと、人生楽しまないといけない病みたいなこという輩と話合わせるのも面倒になってきた。

私の仲のいい先輩が、定年になった。再雇用は希望しないで、定年退職した。年金はまだもらえない。それでも、この仕事のプレッシャーから逃れたかったのだ。同じ仕事をしている私も、その気持ちは痛いほどわかる。

先輩は、毎日プレッシャーから解放されすごく気持ちがいいと言っている。

退職金も一生食えるほどもらえるわけではない。でも、もうこの仕事はまっぴらだということで、さっさと辞めた。私もそうするつもりだ。その先のことは、知らん。定年後の話は、次回にする。

で、母のことを思うと、以前今人気の経営コンサルタントが、死は怖くない。だって、あの世に行けば、尊敬していた人にも会えるし、両親にも会える。有名人、偉人がいっぱいいると思うと怖くないと言っていた。この人は、浅はかなバカだと思った。

私は、母と私にその時が来たとして、いつの母に会いたいのだという問題があると思った。

今の認知症で変わり果てた母にあの世でも会いたいわけではない。

では何歳の時の元気な母に会いたいのかわからないのだ。

自分の年より若い母に会うってのもおかしいし、でも若い元気なころの母に会いたいのならば、年齢差はそのままに自分は子供なるしかない。自分があの世で子供に戻ったならば、大人になってから先に逝ってしまった友人や仲間に会うのおおかしくなる。または、20代で恋人を失って、60年以上たってあの世に行った場合、あの世には20代の恋人がそのままいて、80代の自分はどうしたらいいのだ?行ったときの年齢でしかあの世にいないか?わけわからん。

結局、あの世なんて、ないんじゃね?

そんな想像できない、ややこしい世界なんてなくて、得体の知れない「無」があるだけなんじゃないか? 

「無」が「ある」というのも変な話だ。

小さな巨人みたいな、

腕利きのサッカー選手みたいな、

何言ってるのかわからないと思うが、私もわからない。

無は限りなく無であって、どこにもないのではないか。

ああ、ビール飲み過ぎた。

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