短い雑記

名乗るほどのものではないオッサンの短い雑記です。含蓄のある事、書けと言えば書けますよ。生存確認用ブログです。

1974年3月19日、熱狂の蔵前国技館

日本のプロレス史上最高のビッグマッチは「昭和の巌流島」と言われる、1974年3月19日のアントニオ猪木ストロング小林の一戦だ。

当時、プロレス団体はジャイアント馬場全日本プロレスアントニオ猪木新日本プロレスストロング小林国際プロレスの3団体あり、この3人の中で誰が一番強い?というのがプロレスファンの最大の関心事であった。

団体のエースが対戦するということは、どんな試合よりも楽しみな一戦であり、到底実現しえない夢の対戦だった。

シンプルに誰が一番強いのか。

どっちが強いのか。

勝てばさらに名声を得られるが、エース対決で敗れた方は大きく名誉が傷づくことになる。それもこれも全部見たくてファンは熱狂した。

そしてこの試合は猪木だからこそ実現した世紀の一戦なのだ。

ジャイアント馬場については、ここでは省略する。)

とにかく、アントニオ猪木ストロング小林、顔が似ている。

伸ばしたもみあげに目ヂカラ。この二人の外見からも、不思議と熱は高まるばかりだった。どっちが勝つのか?

当時私は小学5年生。

でもこの一戦は子供ながらに鮮明に覚えている。

私は根っからのアントニオ猪木ファンであったが、怒涛の怪力のストロング小林のファンでもあった。

そのストロング小林が昨年大晦日に81歳で亡くなったとニュースで知った。

ちょうど、正月休みにこの分厚い本を読んで、あの世紀の一戦を回想していたので、驚いた。

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ネットのニュースで、けっこう大きく取り上げられていたのがうれしいというか、ほんとによかった。

昭和を代表するプロレスラーの証しだ。

あれを超える名勝負はない。

実現に至るまでの秘話を含め、プロレス界の最高の一戦だったことは間違いない。

ストロング小林は昭和を彩るスターのひとりであったと思います。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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