それは違うと思います

名乗るほどのものではないオッサンなんだからエラそうに言うな!といわれても。。。

13年前の『めちゃイケ』“爆烈お父さん”映像が海外拡散「平成のテレビ」が再炎上

私は、この問題は**「過去の作品を検証すること」と「現在の人物を断罪すること」を分けて考えるべきだ**と思います。

今回、13年前の『めちゃ×2イケてるッ!』の「爆烈お父さん」の映像が切り抜かれ、現在の感覚で「暴力的だ」「女性への扱いがおかしい」と批判されています。確かに、今見ても不快に感じる人がいるのは当然ですし、実は当時もBPOで取り上げられ、多数の視聴者から批判が寄せられていました。つまり、単純に「昔はみんな笑って許していた」という話でもありません。

① 過去の作品を現在の価値観で検証すること自体は悪くない

社会の価値観は変わります。

昔は当たり前だったことが、現在では問題視される。これはテレビに限らず、歴史、文学、映画などでも同じです。

「あの時代には、こういう表現が許容されていた。しかし現在から見れば問題があった」

と検証することには意味があります。むしろ、社会が何を反省し、どう変化してきたのかを知るためにも必要でしょう。

② しかし「過去の映像=現在のその人」と決めつけるのは別問題

私が一番違和感を覚えるのは、ここです。

13年前の、しかもテレビ番組の一場面だけを切り抜き、

「こんなことをした人間が、今もテレビに出ている」
「二度と表舞台に出るな」

と、現在の人格や活動まで否定することです。

それは少し乱暴ではないでしょうか。

そもそも当該企画は、出演者個人が自宅で勝手に行った行為ではなく、テレビ局、制作スタッフ、演出、番組の企画という巨大な共同制作物です。そして映像には前後のコントとしての文脈もあり、現在SNSで拡散しているのは、その一部を切り取ったものです。

もちろん「コントだから何をやっても許される」という話ではありません。

しかし、作品への批判と出演者個人への永久的な断罪は、明確に区別すべきです。


私なら、この問題を「3段階」に分けます

【第1段階】過去の表現を検証する

「これは今見ても問題がある」

「当時のテレビ業界には、こうした過激な演出を許容する空気があった」

これは自由に議論していいと思います。

【第2段階】当時の状況を調べる

重要なのは、ここです。

「当時は誰も問題だと思わなかった」というのは事実ではありません。実際には放送直後に批判があり、BPOでも審議され、フジテレビ側も視聴者の受け止め方との間に乖離があったことを認めています。

つまり、現在の価値観だけで過去を裁くのではなく、その時代においてもどう評価されていたのかを見る必要があるわけです。

【第3段階】現在の本人を批判するなら「現在の根拠」が必要

ここが最も大切だと思います。

仮に13年前に問題のある行為があったとしても、その後本人が反省したのか、考え方を変えたのか、同じような行為を現在も続けているのか。

そこを確認せずに、

「13年前にこんなことをした」→「だから現在も危険な人間だ」

という論法は、あまりにも短絡的です。

人間に「変化する権利」を認めない社会は、かなり息苦しい社会になると思います。


芸能人にとっては、確かに非常に理不尽な時代になった

昔の芸能人は、テレビ番組が終われば、その映像は徐々に過去のものになりました。

しかし現在は違います。

誰かが13年前、20年前の映像を掘り起こし、わずか数十秒に編集してSNSに投稿すれば、それが突然「今日起きた事件」のように世界中へ拡散されます。

しかも、拡散される過程で、

  • いつ放送された映像なのか
  • どんな企画だったのか
  • 前後には何があったのか
  • 当時どんな批判があったのか
  • その後本人がどう発言しているのか

といった情報は、どんどん消えていきます。今回も、こうした文脈が切り落とされたまま海外にまで批判が広がっています。

これは芸能人にとって、ある意味で**「デジタル時代の時効なし社会」**です。

20年前の失言も、30年前の悪ノリも、いつ誰かが掘り起こすかわからない。そして現在の人格とは無関係に、「今、この人はこういうことをした」として裁かれる。

正直、かなり恐ろしい仕組みです。


私が最も危険だと思うのは「現在の自分たちは正しい」という感覚

今、過去のテレビを批判している私たちの現在の常識だって、20年後には笑われているかもしれません。

2030年代の人たちから、

「2020年代の人たちは、あんなことを平気でやっていたのか」

と言われる可能性は十分にあります。

だからこそ、過去の人々を批判するときには、少しだけ謙虚さが必要だと思うのです。

「昔の人はひどかった。今の自分たちは進歩している」

という構図は、とても気持ちがいい。しかし、歴史を振り返れば、どの時代の人間もだいたい同じことを考えてきました。


結論としては、こう整理するのが公平ではないでしょうか。

過去の作品は現在の価値観で自由に検証していい。問題があったなら批判してもいい。しかし、断片的な映像だけを根拠に、現在を生きる出演者の人格や人生まで断罪してはいけない。

私は、今回の件は「平成のテレビが野蛮だった」という単純な話ではなく、むしろSNS時代の私たちが、文脈を失った過去をどう扱うのかという問題だと思います。

そして皮肉なことに、昔のテレビが「面白さ」のために人を笑いものにしていたとすれば、今のSNSは「正義」のために人を笑いものにしている――そんな構図にも見えてしまいます。

「昔のテレビは残酷だった」と言いながら、現在のSNSが別の形の残酷さを生み出していないか。そこまで含めて考える必要があるのではないでしょうか。

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