短い雑記

名乗るほどのものではないオッサンの短い雑記です。含蓄のある事、書けと言えば書けますよ。生存確認用ブログです。

ジュニア 『ママ・ユースト・トゥ・セイ』

 

ジュニアの『ママ・ユースト・トゥ・セイ』は、1982年にリリースされたソウル・ファンクの名曲です。この曲は、母親から受けた教えや励ましを歌った感動的なメッセージ・ソングで、ジュニアの甘く切ないヴォーカルと、ファンキーなベースラインやシンセサイザーのサウンドが印象的です。この曲は、全米ビルボードチャートで最高2位、全英シングルチャートで最高7位を記録し、ジュニアの代表曲となりました。また、スティーヴィー・ワンダーがプロデュースしたリミックス・ヴァージョンも存在し、こちらも高い評価を得ました。

このブログでは、『ママ・ユースト・トゥ・セイ』の魅力について、以下の3つの観点からレビューしていきます。

- 歌詞の内容とメッセージ
- 音楽的な特徴と影響
- ジュニアのパフォーマンスとキャリア

## 歌詞の内容とメッセージ

『ママ・ユースト・トゥ・セイ』は、ジュニアが自身の母親から受けた教えや励ましを歌った曲です。歌詞には、母親が子供に語りかけるように、「自分の夢を追いかけること」「人生を楽しむこと」「自分らしくあること」などのメッセージが込められています。例えば、以下のようなフレーズがあります。

- 「ママは言ってた 夢を見ることは大切だって」
- 「ママは言ってた 人生は一度きりだから楽しめって」
- 「ママは言ってた 自分に正直でいることが大事だって」

これらのメッセージは、ジュニアが母親から受けた愛情や教育の賜物であり、彼が音楽家として成長する上での指針となったものです。また、これらのメッセージは、聴く人にも共感や感動を呼び起こす普遍的なものであり、多くの人々に勇気や希望を与えたと言えるでしょう。

## 音楽的な特徴と影響

『ママ・ユースト・トゥ・セイ』は、ソウル・ファンクというジャンルに属する曲です。ソウル・ファンクとは、1960年代後半から1970年代にかけて発展した黒人音楽の一種で、ソウルミュージックにファンクの要素を取り入れたものです。ファンクとは、強烈なリズム感やグルーヴ感を特徴とする音楽で、ジェームス・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンなどが代表的なアーティストです。

『ママ・ユースト・トゥ・セイ』では、ファンキーなベースラインやシンセサイザーのサウンドが際立っています。特にシンセサイザーは、当時最新鋭の技術であったフェアライトCMIという楽器を使用しており、様々な音色や効果音を駆使しています。例えば、曲の冒頭では、時計の針が動くような音が聞こえますが、これはフェアライトCMIで作られたものです。また、曲の中盤では、シンセサイザーが鳥の鳴き声や風の音などを模した音を奏でますが、これもフェアライトCMIの機能を利用したものです。これらの音は、歌詞の内容に合わせて、夢や自然や自由などのイメージを表現しています。

『ママ・ユースト・トゥ・セイ』は、ソウル・ファンクというジャンルに属しながらも、新しい技術や音楽的な工夫を取り入れて、独自の個性と魅力を発揮した曲です。この曲は、後に多くのアーティストに影響を与えたと言われています。例えば、マイケル・ジャクソンは、この曲を気に入っており、自身のアルバム『スリラー』に収録された『P.Y.T. (Pretty Young Thing)』という曲では、『ママ・ユースト・トゥ・セイ』と同じフェアライトCMIを使用しています。また、ジョージ・マイケルは、この曲をカバーしており、自身のアルバム『リッスン・ウィズアウト・プレジュディス Vol.1』に収録された『ウェイティング・フォー・ザット・デイ』という曲では、『ママ・ユースト・トゥ・セイ』の一部をサンプリングしています。

## ジュニアのパフォーマンスとキャリア

『ママ・ユースト・トゥ・セイ』は、ジュニアの甘く切ないヴォーカルが際立つ曲です。ジュニアは、本名をノーマン・グリスビーといい、1957年にイギリスのロンドンで生まれました。彼は幼少期から音楽に興味を持ち、10代でプロとして活動し始めました。彼は当初、レゲエやダブといったジャマイカ系の音楽に傾倒していましたが、後にソウルやファンクといったアメリカ系の音楽に影響を受けました。彼は1980年にデビューし、1982年に『ママ・ユースト・トゥ・セイ』を含むアルバム『ジュニア』をリリースしました。このアルバムは大ヒットし、ジュニアは一躍スターダムに上り詰めました。

ジュニアはその後も活発に音楽活動を続けましたが、1980年代後半から1990年代にかけては商業的な成功に恵まれませんでした。彼は2000年代以降も音楽シーンに復帰しようとしましたが、やはり大きな注目を集めることはできませんでした。しかし、彼は決して諦めずに音楽への情熱を持ち続けました。彼は2019年に新作アルバム『Nothing But Love』をリリースしましたが、残念ながら2020年10月14日に亡くなりました。彼は63歳でした。

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