短い雑記

名乗るほどのものではないオッサンの短い雑記です。含蓄のある事、書けと言えば書けますよ。生存確認用ブログです。

私は最低の人間だ。自分がイヤになりました。

行くべきではなかった。先週の札幌。

大学生の息子との用事以外に、私にもう一つの目的があった。

私はこれで大失敗をした。

それはもう30年以上あっていないM君のことだ。

旭川の某高校入学した初日、はじめて言葉を交わしたのがM君だった。それが縁で高校と高校卒業して札幌の学生時代、ずっと仲良かった友人だ。卒業後M君は札幌に残り、私は就職で旭川に帰った。その後数年会う機会がなかった。そして30年ぐらい前に、久しぶりに会って飲んだ。それが最後だと記憶している。その時は確か最後ススキノで握手をして、「じゃあ、また」という感じで別れた。そのうちまた会うだろうと思っていた。しかし、その後年賀状だけのやり取りで現在に至るのだが、年賀状で大体の暮らしぶりが想像できるようになってきた。

結婚をしてないこともわかった。そして、どんな仕事をしているかは知らないが、たぶん生活自体もそんなに楽でもなさそうな気がした。年賀状に書かれてあるのは、住所と名前のみ。住所には番地も入っていない。〇条〇丁目まで。電話番号もない。住所と名前もボールペンの手書き。たぶん、年賀状を出す人間もほんの限られた人なのだろうと思った。

何年も気になっていた私は、ついに年賀状の住所を頼りにグーグルマップでその住所にあるアパートを見つけた。直感であったが、M君は、たぶんここで一人で住んでいるかもしれないと思った。

そして、そのアパートにたどり着いた。ネットで見るより古く感じた。2階建て8室の古いアパートだった。まず1階を見たがどの部屋も表札がなく、1階4部屋のうち3部屋は人が住んでいないようだった。外階段を上り2階に行って最初の部屋のドアの上にM君の名前があった。

「ここだ。やはりここだったのだ。」

急に心臓が高鳴った。ドアの向こうにいるのかな?

呼び鈴を押した。2・3回押した。反応はなかった。留守だ。

想定していたがちょっとがっかりした。

なんとか会いに来たことを伝えたくて、書置きをした。突然来たことと、携帯番号を書いて連絡ほしいという内容のほんの短いB5サイズの1枚だ。ドアの郵便受けに入れた。ドアの向こうの玄関に落ちた音がした。

もう一度、改めて建物の外観を見た。その瞬間、急に後悔した。

来たことを知らせてよかったのか?書置きをするべきではなかったのでは?

そんな気持ちが急にドドーっと湧き出た。でも、もう取り返しがつかない。

このアパートの外観だけで暮らしぶりを判断してはいけないが、50過ぎた独身がこのアパートに何年もいる事実。M君は、私にここまで来てほしくなかったのではないかと思った。書置きを書いてるときに気づけばよかった。バカだ。

私は、どんな暮らしをしてようが全くそんなこと関係なく、ただ仲良かったM君に昔のように何の屈託もなく会いたいと思っていただけなのだ。懐かしいし、M君もきっと驚いて、喜ぶと思った。私は勝手にあの頃のようにすぐ戻れると思っていた。

しかし、50も過ぎているんだ。もっと考えるべきだった。

ホントにバカなことをした。

M君は私の今回の訪問をどう思ったのだろうか。怒ったかもしれない。もしかしたら、ラインをするスマホすら持っていないのかもしれない。もし、M君が自分の現状を考えて誰にも会いたくないのら、書置きなんかするべきではなかったのだ。

相手の立場で考えるべきなのに、書置きを入れてから気づくなんて。なんて浅はかでバカなんだ。

M君は、会わせる顔がないと思ってる可能性が高い。彼の性格からして、何も悪いことしてないのに、そう思ってる可能性が高い。いまだに独身でアパート暮らしをしている現状。。。世間一般的な成功というのではない人生だとしたら。。。そこら辺を察するべきだった。それは懐かしさを通り越す事情だと気づいた。

私だってただのしがないサラリーマンで何も差はないと思っている。そんなことどうでもいいと思っているが、若い時とは違うのだ。50過ぎた今ではすべてが違うのかもしれない。

そんなこともわからなかった。無言の年賀状のやり取りだけでつながっていればよかったのだ。それがM君に対する唯一の方法だったのかもしれない。

これで、年賀状も来ないかもしれないな。M君は私に知らせず引越しをするかもしれない。

全部、私が悪い。

自分がバカ過ぎていやになった。

すまなかったM君。

私は自分しか見えてなかった、最低の人間だ。

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