人は忘れる生き物だ。記憶の多くを失って生きている。
あんなに大切だったいろんな記憶が年月とともに消えてしまう。人も出会いも別れも。
音楽はそんな思い出を蘇らせてくれる。
好きだった娘がいた。
何度も言おうとしたハタチの頃。
照明が落ちたディスコのチークタイム、抱き合て踊る。
きっと、この曲も多くの人の記憶を預かっているのだろう。
いつもどこれも流れている曲ではないから、蘇る記憶が懐かしい。
人は忘れる生き物だ。記憶の多くを失って生きている。
あんなに大切だったいろんな記憶が年月とともに消えてしまう。人も出会いも別れも。
音楽はそんな思い出を蘇らせてくれる。
好きだった娘がいた。
何度も言おうとしたハタチの頃。
照明が落ちたディスコのチークタイム、抱き合て踊る。
きっと、この曲も多くの人の記憶を預かっているのだろう。
いつもどこれも流れている曲ではないから、蘇る記憶が懐かしい。
もう、亡くなられたんですね。マーティ・バリン。
これは、この世の名曲にふさわしい。
あの頃は、何もなくて、何ができるのかさえわからなった。
自分はどんなことをして生きて行くのか、わからなかった。
一時期、将来への不安を強く感じたことがあった。
あの頃、あの子は魔法を持っていた。
勇気をくれた魔法。
「いつでも電話して。」
あの頃に戻って山ほどやり直したい人も、あの頃の輝きが忘れない人も
人生には音楽がある。
郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」もいいけど、酒飲んだときはこっちが断然いい。
令和に引き継ぎたい昭和の名曲。
私はもう女遊びは危険です。
先日の健康診断で引っ掛かりました。
今までは毎日快調なわけでもないが、どの項目も異常な数値がなかった。
でも今回は血圧で引っかかった。
自分としてもショックだったが、よく考えれば、週に1・2回はラーメンを食べるし、トシもトシだからそろそろ仕方ないかもね。
ひどい高血圧とまではいかないが、医療機関で受診するよう言われた。
高血圧といえば頭の血管がプチっと切れて倒れたり、死んだりするからね。
もし、デリヘルで遊んでいる最中にそうなったらどうするよ。
どこかのラブホテルの一室で、倒れたり死んだりなんてことになったら、大変なことになる。
死んでしまえば、そのあとのことは自分は認識のしようがないからいいじゃんといっても、絶対そういう問題じゃない。死んだ本人はわからないって言っても、そういう問題じゃないって。
人生の最後がそんなアホなことになり、女房、子供にドン引きされる死なんて、絶対ダメだ。死んでもイヤだ。
注意しなくてはいけないのは、デリヘル譲が高血圧ってこともあるからね。特に熟女。
突然、プレイ中に、脳卒中や心臓麻痺にデリヘル譲がなるってこのともあるかもしれないよ。確率的にはけっしてゼロパーセントではない。それで、死んだなんてことになると、どれだけ大変だか。わざわざここで書かなくてもわかるだろう。
そうなると、当然警察に事情を聴かれる羽目になる。絶対なるでしょ。
その後どう考えても、家庭崩壊が待っている。破滅ってやつだ。
健康診断で、どこかに不安を持ってしまった以上、女遊びは危険極まりない。最悪の人間像、父親像で終わる危険性がある。
とても低い確率でも、不都合なことは起こりうる。そう考えていた方がいいよ、世のおっさんたち。
ていうか、いいトシこいて、女遊びはやめなさい。
熟女が年下だよ。
でも、ラーメンはやめれないね。
10連休最終日は、私のよく行く公園でまったり。
北海道旭川市、現在桜が満開です。
息子も昨日札幌に戻ったし、妻は今日から仕事。
公園を散歩し、桜の写真をスマホで何枚も撮りながら歩いていると、ここで3人で花見をしてもよかったな~と思った。いつのも休日より人が多い。中年の夫婦、子供連れの若い夫婦、友達同士など。お年寄りの方も多くいたが、働き世代の人たちは、私と同じで今日で連休が終わり、明日から仕事なのだろう。
長い連休だったが、予想通りあっという間という感じで早くも終わる。でも一方で、やっと日常に戻れるという気もする。朝起きて仕事に行って、めんどくさい思いをしてやることやって、追いつかない気持ちを抱えあっという間に一週間が終わる日常。そんな面白くない日常がどうせ来るなら早くこいという感じだ。
カラスがベンチの近くを歩いていた。どこかのオッサンみたいな声を何度も繰り返して出している。いいな、明日も休みで。カラスに仕事も休みもないか。じゃ、何があるんだ?カラスの人生。
曇り空だったので、持ってきた本を読む。
この公園で本を読むのが好きだが、夏の晴天では、本の白い紙がまぶしく反射して読みずらいので、木陰に行くが、今日は気になる日差しもなく、気温も丁度よく、穏やかな風も少し吹いている。その中で本を読むと、眠くなるだけだった。
令和最初のラーメンは、公園近くの旭川の人気店、「みづの」の生姜ラーメンにした。連休中は毎年行列になる店のひとつだ。
この生姜ラーメンの美味さは別格だ。
最近は生姜ラーメンを出す店もあるが、どの店も足元にも及ばない。
生姜ラーメンを食べるならここだ。
さてこれからまた、音楽をかけながら本でも読んでうたたでも寝するか。
ひとりの休日も悪くない。というより好きだ。休みの日まで他人と時間を合わせたり、約束したりするのが鬱陶しい派だ。
明日から仕事だという憂鬱な気持ちも楽しみな気持ちも特別起きない、このままの気分で今日一日を終わりたい。最後はビールだ。
史上初、もう二度とない10連休のゴールデンウィークも今日「こどもの日」入れて残り2日。
Uターンラッシュ、お疲れ様です。
このゴールデンウィークは、ほとんど家族と過ごしたゴールデンウィークで、改めて幸せなんだと実感しております。
大学4年の息子と妻と、特に令和になってからの連休後半は家族3人で過ごし、まさに幸せな時間でした。いろんなところに出かけ、美味しいものを食べ、飲みました。
今日息子は札幌に戻りました。これからまた就活頑張るでしょう。
私は、遊び疲れと飲み疲れでブログ書く気力もありません。
ずっとこのまま休日でいいんですけど、カネさえあれば。
このゴールデンウィークは時代の変わり目だったもんね。当たり前だけど。
この人と同じ感じ。
昭和は子供で過ごし
— 松本人志 (@matsu_bouzu) 2019年4月30日
平成は子供と過ごし
令和はどう過ごそうかねー。
私の場合、令和も子供と女房が健康で、私も健康で、それだけでいい。あとはどうにかなるだろう。
てことで、今日の一曲はGuns N' Roses - Sweet Child O' Mine (Alternate Version)
様々なアーティストによってカヴァーされている名曲。
令和のスタート!
世界各国の祝福にこれは日本だけの出来事ではないことがわかります。
この新たな時代の始まりが祝賀ムードで始まることを素直に喜びましょう。
皇后雅子さまの美しい笑顔に、日本中が安心と喜びの中で令和を迎えました。
私は一連の報道をすべて見たわけではないが、車の中から素晴らしい笑顔を見せられた皇后雅子さまの印象が一番でした。ホントに美しかった。
別に平成が令和になっても、自分の人生も生活もただの1ミリも変わらないという人もいるでしょう。それも事実かもしれないが、この盛り上がり、祝賀ムードに背を向けるひねくれ者でない方がいいよ。マジでダサイから、そういうの。
まあ、世の中だからいろんなヘンテコリンがいて天皇制反対のデモも実際あったようだけど、まあ勝手にやって下さい。
平和で、災害のない時代になることを願って、喜びと希望で令和をむかえるのが一番!
今日、平成最後の日。
天皇陛下の短い最後のお言葉を拝聴しました。
心に深い感謝と感動が起きました。
仕事の関係で大きな式典が今から8年前に日本武道館で開催されたとき、天皇陛下からおことばをいただき、遠くの席から天皇皇后両陛下を直に拝見することができました。
それは大変貴重な体験だったと今改めて思い出します。
そう考えると、私は自分の職業にもっと誇りを持ち、感謝をしなくてはと強く思いますね。
今までのどんな時代も、これからの時代も、いいことばかりじゃなくいろんなことが起こります。
平成も大震災などの悲劇がありました。一方、戦争はなくいい時代だったと思います。
私の平成も、人生でとても幸せな時代だったので、感謝しかないです。
なんといっても、平成に私は結婚し、息子ができました。
これ以上の幸せはありません。
ありがとう平成。
10連休。早くも3日目に突入しました。天気もいいようです。
明日4月30日から5月1日に普通に時間が流れていくところで区切りがつけられる。
まあ、今回の天皇の退位は憲法違反と批判する有識者もいるが、まあそんなわけわからん大学教授のような固いこと言わないで感謝の気持ちで令和を迎えましょう。
天皇制とか憲法とか、含蓄のある事を書けと言われれば書けますよ。でもどちらの方面からもそのことに関して私の意見は求められてませんので書きません。
国際的、国内的、平成の出来事も振り返ればいろんなことがありました。
国際的には平成13年(2001年)9月11日の同時多発テロ。ニューヨークの世界貿易センタービルへの自爆テロ、ビル崩壊。ホント、マジか?と思いましたよ。
国内では、阪神淡路、東日本大震災やオウム真理教の事件。平成元年から消費税導入。大震災の悲劇は今思い起こしてもひどく心が痛みます。あの映像はもう見たくない。
私の住む北海道で、一番うれしく興奮したのは、駒大苫小牧の夏の甲子園2連覇。その次の年、決勝で引き分け再試合の準優勝。まさに、2.99連覇といえるあの3年間の夏。
北海道の選手がオリンピックで金メダル取ることはあったけども、私たちの生きてる間に、北海道の高校が夏の甲子園で優勝することなんてないと思っていた。それが、ついに平成16年、駒大苫小牧がやってくれました、初優勝!
もうこれで一生の思い出ができた。生きてる間に二度と見れない優勝シーンだと思っていた。全道民がそう思ったに違いない。ところがなんと次の年もまさかの優勝で2連覇。その次の年は準優勝という、3年連続で夏の甲子園決勝まで行った。
今考えても、すごい。ありえないぐらいすごい。大阪桐蔭でもできないだろう。
ということで、令和もいい時代になりますように、今日の一曲。
いとしの令和。
いや、「いとしのレイラ」
80年代の音楽を懐かしく思い、前回前々回は書いたが、平成がもう終わろうとしているので、ほんの一部だが平成で心に残っている楽曲を書いてみようかな。連休初日だし、ビール飲んでるし。
とにかく平成で心に残っている曲も思い起こせばたくさんあるのだが、一番泣けた曲にしよう。
GReeeeNのキセキだ。
この動画にように息子が野球少年団で頑張っていたことを思い出す。
うちの子は、4年生の終わりごろから野球少年団に入った。その年のシーズンが終わってからの入団なので、実際は5年生と6年生の時の2シーズンしか小学校ではやっていない。
もともと才能があるわけでもなく、体も小さく、身体能力が高かったわけでもないのに人より遅く野球を始めたものだから、同級生はもちろん下級生にも及ばなかった。練習試合には出たことはあったが、大きな大会や大事な試合は6年生でただ一人試合に出させてもらえなかった。結構強いチームだったので、お父さんお母さんも盛り上がっていた。
しかし、うちの子だけは試合に出れず、チームが勝って帰ってきても、悔しそうに涙をこらえながら無言でユニホームを着替える息子。なんと声をかけていいのかわからなかった。その姿にいたたまれない思いをしたものだ。
でも同級生はみんな息子のことを応援してくれた。うちの子がいないと野球をしたくないという子もいた。ホントにやさしい子たちのいいチームだった。なんと言っても監督がいい人だったし。
卒団式は、泣けた。卒業式より泣けた。
監督が卒団証書を手渡すとき、涙ながらに一人一人に最後の言葉をかけた。
うちの子には、オマエの野球の本番は中学からだ。中学行ってからもずっとお前を見てるからあきらめずがんばれと言ってくれた。
その言葉を胸に息子は中学ではレギュラーポジションをとり、頑張った。
GReeeeNのキセキを聴くと、毎晩素振りをする姿を思い出し、頑張ってる姿を思い出し、泣けるのだ。
中学3年の最後の試合。
中体連、地区予選から順調に勝ち上がり、全道大会まであと一歩のところで敗れ、終わった。
最後から2番目のバッターだった。1-0でリードされた最終回、1アウトランナーなし。フルカウントまで粘ったものの、最後は空振りの三振だった。思いっきり振った三振だった。最後のバッターも三振でゲームセット。息子が泣いているのが分かった。
ブラスバンドの応援があり、そのメンバーの中に、息子より1つ下のさくらちゃんがいる。幼稚園に入る前から近所でいっしょに遊んでいた子だ。そのさくらちゃんが泣いているのを見たとき、私の涙腺が崩壊したのを思い出す。
球場横でラストミーティングが涙涙で終わり、応援にきていた母さんたちも泣いていた。
全部終わり、家に帰り、息子が言った。
「父さん、悔いはないわ。」
その一言に、涙腺が崩壊した。
やりきったんだな、オマエって感じだった。小学校の時の悔しい思いから、よくここまでがんばった。そう思い泣けた。
今でもあの言葉、あの顔を思い出すと泣ける。
そして、中学の卒業式。さくらちゃんからの短い手紙。
どのタイミングでもらったのかは知らないが、さくらちゃんが手渡してくれたのだ。
小学校、中学校と同じ学校に進んだが、それぞれ友達ができ、それぞれ野球と吹奏楽という別々の活動に進み、中学では話す機会もなかったようだが、最後に手紙をくれたのだ。
「ずっと、応援してたんだよ」
それを妻から聞いたとき、泣けた。
「応援してたよ」じゃなく「応援してたんだよ」。
このちょっとした違いに、すべてが。
あ~もう、ダメだこれ以上書けない。