短い雑記

名乗るほどのものではないオッサンの短い雑記です。含蓄のある事、書けと言えば書けますよ。生存確認用ブログです。

『陰翳礼讃』で表現しようとしていた日本の美

『陰翳礼讃』をこれから読む方には、このビジュアルブックをお求めになることをお勧めします。
なぜなら、薄暗がりが好きなのか---。
陰翳の美意識に関する、谷崎潤一郎の名随筆が、美しい写真とともに詰まったビジュアルブックです。
この本は、まるで『陰翳礼讃』の美術展を観ているかのような感覚を味わえるほど、美術作品のように魅力的です。
大川裕弘氏の空気感に満ちた写真は、谷崎文学の世界感を素晴らしく補完しています。

この書籍は、日本人や日本文化に興味を持つ方々にとって、必読の一冊とされています。
しかし、正直なところ、文字だけの本を読むのは億劫だと感じることもあるかもしれませんね。

でも、私も同じように購入を先延ばしにしていたのですが、その結果として素晴らしい出会いがありました。
この本は、繊細な写真と美しい文体のコラボレーションが見事で、1ページごとに美しい日本の陰影が浮かび上がってきます。

谷崎潤一郎は、「暗がり」と「翳り」に美を見出すと言います。
日本人の先祖は、陰翳の中で美を発見し、やがて美の目的に合わせるように陰翳を利用するようになりました。
日本の美について、私の記憶の奥深いところで揺れ動くものを感じます。

本を読みながら、谷崎潤一郎に叱られているような気がしました。
障子を通して光が戯れる様子や、畳に落ちる陽の光、ゆれ動くロウソクの炎の怪しさ、そしてあかりの届かない範囲のほんのりとした暗がり。
そこには何かが存在するような恐れと、うつろう美があります。
木々を通る風が葉を揺らし、様々な姿を見せる葉の鮮やかさも、美しい陰翳の一部です。

日本の美は、一時的なものではなく、1日や四季を通じて根付いていると感じます。
技術の進歩によって光が隅々まで照らされ、文明の利器に囲まれた快適さが増しているかもしれませんが、日本人はそれでも陰翳を生み出し、美を創造しています。
美は物体にあるのではなく、物体と物体が作り出す陰翳にあるのです。
暗いと感じることを嘆かず、光が乏しいならば、その乏しいなりに美を見出すことができるのです。
月の明かりや蛍の明かりからも、美を見出してきたのですね。

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